『藪の中』を読み終えて、こんな気持ちになっていませんか。

  • 結局、誰が本当のことを言っているの?
  • 武弘の死について、本当は何が起きたの?
  • 話が食い違いすぎて、何を信じればいいのか分からない
  • 「真相が分からなかった」しか感想が出てこない
  • 読書感想文に何を書けばいいのか分からない

でも、『藪の中』では、真相を一つに決められないこと自体が、感想文の邪魔になるとは限りません。

むしろ面白いのは、食い違う証言を読んでいるうちに、私たち自身が、

「この人の話は本当らしい」

「この人は信用できない気がする」

と判断していることです。

そこでこの記事では、犯人当てを急ぐのではなく、

「私は、なぜその人の言葉を信じたのだろう?」

という問いから『藪の中』を読んでいきます。

作品の正解を当てるのではなく、作品を読んでいる自分の考えが、どこでどう動いたのかを見つける。

そこから、自分にしか書けない読書感想文を作っていきましょう。

『藪の中』の多襄丸・真砂・武弘の食い違う証言に、読者が誰を信じるか迷っているイラスト

この記事を読むと、こんなことができるようになります。

  • 多襄丸・真砂・武弘の証言の違いを整理できる
  • 「本文で分かること」と「自分の解釈」を分けられる
  • 自分の考えの変化を、読書感想文の材料にできる
この記事を読む前に|作品の重要な内容に触れます

この記事では、『藪の中』の結末や登場人物の証言内容に触れます。まだ作品を読んでいない場合は、先に本文を読んでから戻ってくるのがおすすめです。


→ 青空文庫で『藪の中』新字新仮名版を読む

また、文学作品には複数の読み方があります。この記事でも、「作者は絶対にこう考えていた」と決めるのではなく、本文を手がかりにした一つの読み方として考えていきます。

作品には、真砂が性的な暴力を受ける重い出来事も描かれています。この記事では、真砂が受けた被害の事実と、その後の出来事について登場人物たちがどう語っているかを分けて扱います。

目次
  1. 最初に一行だけメモしよう|今、あなたは誰を信じる?
  2. 芥川龍之介と『藪の中』を短く知っておこう
  3. 『藪の中』のあらすじと「7人の語り」を整理
  4. 食い違う証言をどう読めばいい?
  5. なぜ私たちは、その人を信じたくなる?
  6. 真相が分からなくても、読書感想文は書ける
  7. 自分の「引っかかり」から感想文の方向を決めよう
  8. 本文へ戻って、もう一度読んでみよう
  9. 感想文で気をつけたいこと
  10. 最後に考えたい|なぜ題名は『藪の中』なのだろう?
  11. AIを使うなら「真相を決めてもらう」のではなく整理に使おう
  12. では今、あなたは誰を信じる?
  13. よくある質問|『藪の中』の読書感想文
  14. まとめ|真相だけでなく「自分の信じ方」を読んでみよう
  15. 『藪の中』の次に読むなら|問いが近い2作品
  16. 難解読書感想文シリーズ|ほかの作品も「問い」から読んでみよう
  17. 参考文献・本文

最初に一行だけメモしよう|今、あなたは誰を信じる?

すでに『藪の中』を読み終えている人は、ここで少しだけ立ち止まってください。

事件の中心にいたのは、盗人の多襄丸、真砂、真砂の夫・武弘の三人です。

今の時点で、「この人の話が比較的、本当らしい」と感じる人はいるでしょうか。

決められなくても大丈夫です。

選べる人は、理由と一緒に一行だけメモしてみてください。

今の私は、______の話が比較的本当らしいと思う。

なぜなら、________________だからだ。

この答えは、記事の最後でもう一度使います。

途中で考えが変わっても構いません。

むしろ、「なぜ変わったのか」が、そのまま読書感想文の材料になります。

『藪の中』を読んだ最初の印象として、多襄丸・真砂・武弘・決められないから選ぶ図

芥川龍之介と『藪の中』を短く知っておこう

芥川龍之介は、『羅生門』『鼻』などでも知られる小説家です。

『藪の中』は1922年に発表された作品で、一つの事件について、複数の人物がそれぞれの立場から語る形で進んでいきます。

ところが、読み進めるほど事件は分かりやすくなるどころか、かえって分からなくなります。

同じ出来事について話しているはずなのに、話が一致しないからです。

同じ芥川龍之介の『羅生門』では、下人の迷いや「生きるための言い訳」から、人が自分の行動をどう正当化するのかを考えました。

『藪の中』では、そこから少し問いを広げて、

人は、自分が経験した出来事をどのように語るのか。

に注目してみます。


→ 『羅生門』の読書感想文記事はこちら

『藪の中』のあらすじと「7人の語り」を整理

山中で、一人の男の死体が発見されます。

死んでいたのは、金沢武弘という侍でした。

木樵、旅法師、放免、真砂の母である媼などの話によって、武弘が妻の真砂と旅をしていたことや、盗人の多襄丸が事件に関係していることが少しずつ分かってきます。

『藪の中』では、大きく見ると、次の7人分の証言・告白・語りが並びます。

  1. 木樵
  2. 旅法師
  3. 放免
  4. 媼
  5. 多襄丸
  6. 真砂
  7. 巫女の口を借りて語る武弘の死霊

前半の人物たちは、事件の周辺情報を少しずつ伝えます。

そして後半になると、事件の当事者である多襄丸・真砂・武弘が語り始めます。

ところが、核心に近づくほど、話は一致しなくなる。

ここが『藪の中』の大きな特徴です。

『藪の中』の7人の語りを前半4人と事件の中心となる後半3人に分けた図

事件の中心にいる三人は、何を語っている?

人物 武弘の死について 語りで目立つこと
多襄丸 縄を解いた武弘と斬り合い、自分が倒したと語る 正面から戦ったことや激しい勝負だったことを強調する
真砂 多襄丸が去ったあと、自分が夫を小刀で刺したと語る 夫の視線を、自分への冷たい蔑みとして受け取る
武弘 妻と多襄丸が去ったあと、自分で小刀を胸に刺したと語る 妻への怒りや苦しみ、自分の最期を語る

三人とも、武弘の死について違う説明をしています。

そのため、三つの語りをそのまま同時に事実とすることはできません。

ここで大切なのは、すぐに「つまり、この人物が嘘をついている」と決めないことです。

まずは、誰が何を語ったのかを分けておきましょう。

多襄丸・真砂・武弘が武弘の死について異なる説明をしている比較図

食い違う証言をどう読めばいい?

「書いてあること=事実」とは限らない

普通の物語を読むとき、私たちは文章に書かれた出来事を、そのまま作品の中で起きたこととして受け取りやすいものです。

しかし、『藪の中』では少し注意が必要です。

文章の多くが、登場人物自身の語りだからです。

たとえば、「夫の目には、自分への蔑みがあった」という内容が語られていたとしても、まず確認できるのは、

「真砂が夫の目をそのように受け取った」

ということです。

武弘自身が本当に同じ気持ちだったかどうかとは、分けて考える必要があります。

「事実・証言・解釈」を分けてみよう

種類 考え方
比較的確認しやすいこと 武弘の死体が藪の中で発見された、複数の人物が事件について語っている、など
人物の証言 「自分が殺した」「自分で死んだ」「あの視線は蔑みだった」など
読者の解釈 この人物は自分をよく見せようとしているのではないか、こちらの話の方が信用できそうだ、など

この三つを分けるだけでも、『藪の中』はかなり読みやすくなります。

『藪の中』を読むときの「確認できること・人物の証言・読者の解釈」を3層に分けた図

食い違いだけでなく「一致しているところ」も探そう

『藪の中』というと、どうしても矛盾ばかりに注目しやすくなります。

でも逆に、複数の語りで重なっている部分を探すことも大切です。

三人の中心的な語りでは細部に大きな違いがありますが、多襄丸が夫婦を藪へ誘い込み、武弘が拘束され、真砂が多襄丸から重大な被害を受けたという大きな流れには重なる部分があります。

一方、その後になると、真砂の行動、武弘と多襄丸の戦い、武弘の死に至る経緯、小刀の行方などが食い違っていきます。

一致している 食い違っている 判断できない
複数の語りで重なるところ 人物によって説明が変わるところ 本文だけでは確定できないところ

小刀はどこへ消えた?|「分からない」を正確にする

『藪の中』には、小さく見えて気になる謎があります。

小刀です。

武弘の死霊は、妻が落とした小刀を自分の胸へ刺し、自ら命を絶ったと語ります。

そして最後に、誰かが忍び足で近づき、胸からその小刀を抜いたと語っています。

ところが、最初に武弘の死体を見つけた木樵の証言では、小刀は現場に残っていません。

では、誰が持ち去ったのでしょう。

ここで、すぐに人物を決めたくなるかもしれません。

でも、いったん止まってみます。

「小刀が現場に残っていない」ことと、「誰が小刀を持ち去ったか」は同じ情報ではありません。

「きっと○○だ」と推測することはできます。

しかし、それを本文で確認できる事実として書くことはできません。

『藪の中』では、こうして「どこまで分かって、どこから分からないのか」を正確にすることが大切です。

『藪の中』で小刀が現場からなくなったことと、誰が持ち去ったかは推測であることを示す図

なぜ私たちは、その人を信じたくなる?

あなたは何があると、その人の話を信じる?

少し作品から離れて、自分の判断を見てみましょう。

人の話を聞いたとき、どんな理由で「この人は本当のことを言っていそう」と感じるでしょうか。

  • 話が細かく、具体的だから
  • 自分に不利なことまで話しているから
  • 感情が伝わってくるから
  • 堂々と話しているから
  • ほかの人の話と一致しているから
  • 証拠と合っているから

「本当らしく見えること」と、「その話を裏づけるものがあること」は同じだろうか。

詳しく話す人が、必ず正しいとは限りません。

感情が伝わる人が、必ず正しいとも限りません。

反対に、話し方が不器用だからといって、間違っているとも限りません。

この作品を読んでいると、登場人物の証言だけでなく、自分自身の「信じる基準」まで見えてきます。

多襄丸はなぜ「正直そう」に見えるのか

多襄丸は、自分が武弘を殺したと語っています。

自分にとって不利なことまで認めているため、「ここまで認めるなら、正直なのでは?」と思った人もいるかもしれません。

しかし、語り方にも注目してみましょう。

多襄丸は、武弘の縄を解いたうえで斬り合ったと語ります。

さらに、二十三合目で武弘を倒したことを強く印象づけています。

そこから、こんな読み方もできます。

「人を殺したこと」は認めても、「卑怯な人間」とは思われたくなかったのではないか。

もちろん、これは一つの解釈です。

本当に多襄丸の語った通り、激しい決闘があった可能性も、本文だけから完全に消すことはできません。

「この読み方しかない」と決めず、別の可能性も考える。

そこから、自分の読みが深くなっていきます。

三人は、自分をどんな人間として語っている?

人は何かを説明するとき、「何が起きたか」だけを話しているとは限りません。

「自分はどんな人間だったのか」という自己像も、語りの中に表れることがあります。

人物 語っている内容 語りに表れている自己像の一例
多襄丸 武弘と正面から斬り合った 卑怯ではなく、正面から戦った自分
真砂 夫の冷たい視線に耐えられなかった 夫の視線によって深く傷つき、追い詰められた自分
武弘 最後は自ら小刀を胸に刺した 最後の行動を自分で選んだ自分

これは登場人物の本心を断定するものではありません。

語り方から考えられる一つの読みです。

人は出来事を語るとき、「何が起きたか」と同時に、「その出来事の中の自分」を語っているのではないか。

多襄丸・真砂・武弘の語りに表れている自己像の一例を比較した図

相手の「目」を見れば、心は分かる?

『藪の中』で特に注目したいのが、視線です。

真砂は、夫の目の中に、自分への冷たい蔑みを読み取ります。

ところが武弘自身の語りでは、妻へ目くばせをして、多襄丸の言うことを信じないよう伝えようとしたとされています。

同じ場にいた二人なのに、「目が何を意味していたのか」さえ一致しません。

相手の表情を見て「気持ちが分かった」と思ったとき、本当に相手の心を読めているのだろうか。

例えば、友達から短い返事しか返ってこなかったとします。

「怒っているのかな」と思うかもしれません。

でも、疲れていただけかもしれません。急いでいただけかもしれません。

相手がしたこと、自分がどう受け取ったか、相手が本当は何を考えていたか。

この三つは、必ずしも同じではありません。

ただし、ここで「だから真砂の思い込みだった」と決めるのも危険です。

武弘の説明もまた、武弘自身による語りだからです。

真砂と武弘で同じ視線の意味が異なって語られていることを示す図

この証言だけで、本当に断定できる?

三人の話だけを読んで、「武弘の死について、これが真相だ」と言い切れるでしょうか。

「たぶん、この人物だと思う」と感じることはできます。

でも、

「たぶんそうだ」

と、

「本文からそうだと確認できる」

は同じではありません。

推測できることと、断定できることを分ける。

感想文でも、「私はこう考える。しかし、本文だけではここまでは断定できない」と書ければ、より丁寧な考察になります。

真相が分からなくても、読書感想文は書ける

『藪の中』の感想文を書くために、「本当は武弘の死について何が起きたのか」を必ず決める必要はありません。

もちろん、自分なりに推理しても構いません。

その場合は、「本文で分かること」と「自分の推測」を分けて書けばよいのです。

また、「結局、真実は人それぞれなんだ」と簡単にまとめるのも少し違います。

多襄丸、真砂、武弘が語る死亡経緯は、同時には成り立たないからです。

「語りが複数ある」ことと、「全部の語りが同じ意味で事実である」ことは違います。

そこで、こんな方向から感想文を書くこともできます。

最初は、答えが分からないことがこの作品の難しさだと思った。しかし証言を比べるうちに、答えを決めることより、自分が何を根拠に人の話を信じているのかが気になった。

「分からない」で終わるのではなく、「何が分からないのかを前より正確に説明できるようになった」。

それも、読書によって考えが深まった証拠です。

自分の「引っかかり」から感想文の方向を決めよう

全員を同じ型にはめる必要はありません。

自分が一番引っかかったところから選んでみましょう。

気になったこと 本文で見直すところ 感想文の中心にできる問い
人の言葉を信じること 多襄丸の告白や三人の語り方 人の話を信じるとき、私は何を根拠にしているのだろう?
登場人物の語り方 多襄丸・真砂・武弘が自分自身をどう語るか 人は出来事を語るとき、自分をどんな人間として語るのだろう?
真相が分からないこと 三人の死亡経緯の食い違い 答えが一つに決まらない物語を読む意味は何だろう?
真砂と武弘の視線 真砂が夫の目を語る場面と、武弘が目くばせを語る場面 人の表情や態度から、その人の心を本当に理解できるのだろうか?
小刀などの謎 武弘の最期と木樵の証言 自分が「こうに違いない」と思ったとき、それは事実なのか、解釈なのか?

『藪の中』の感想文を「信じる・自己像・真相・他人の心・事実と解釈」の5方向から選ぶ図

感想文は「判断が動いたところ」を書くと深くなる

作品全体を説明しようとするより、自分の判断が変わったところを一つ選ぶと書きやすくなります。

最初の考え 多襄丸の話が一番本当らしいと思った
そう思った理由 自分が武弘を殺したと認めているので、正直そうに感じた
読み返して生まれた疑問 自分が卑怯ではないことも強く印象づけようとしているように感じた
別の可能性 本当に多襄丸の語った通りの戦いだった可能性もある
今の考え 正直そうに見えることと、本当のことを話していることは同じではないかもしれない

読書感想文を「最初の考え・本文・疑問・別の可能性・今の考え」の順に深める図

完成例文を写すより「材料メモ」を作ろう

感想文が書けないと、完成した例文を探したくなるかもしれません。

でも、その文章をそのまま写してしまうと、あなた自身の感想ではなくなってしまいます。

まずは、

「最初の考え → 気になった本文 → 疑問 → 別の可能性 → 今の考え」

だけをメモしてみましょう。

ここまで自分で作れれば、あとは文章につなげていくだけです。

書き出しは「分からなかった」から始めてもいい

私は『藪の中』を読み終えたとき、結局誰の話が本当なのか分からず、すっきりしなかった。しかし三人の証言を比べてみると、私は知らないうちに「この人なら信用できそうだ」と判断していたことに気づいた。そこで私は、事件の真相よりも、自分が何を基準に人の話を信じているのかが気になった。

「分からなかった」という最初の感想を消す必要はありません。

その「分からない」が、考えたあとにどう変わったのか。

そこまで書けば、自分の感想になります。

本文へ戻って、もう一度読んでみよう

この記事を読んで終わりにせず、もう一度作品本文へ戻ってみましょう。

全部読み直すのが大変なら、次の三つだけでも構いません。

① 多襄丸が武弘との戦いを語るところ

「何が起きたか」だけでなく、多襄丸が自分自身をどんな人間として語っているかに注目してみましょう。

② 真砂が夫の目について語るところ

夫の心そのものと、真砂が夫の目をどう受け取ったのかを分けてみましょう。

③ 武弘が自分の最期を語るところ

武弘自身の語り方だけでなく、小刀が最後にどうなったのかにも注目してください。

一度目よりも、二度目の方が、

「これは事実? 証言? それとも自分の解釈?」

と考えながら読めるはずです。

青空文庫には2つの『藪の中』がある

『藪の中』は、青空文庫で無料で読むことができます。

しかも、新字新仮名版と旧字旧仮名版の2つが公開されています。

まず内容を追いたい人には、新字新仮名版が読みやすいでしょう。


→ 青空文庫『藪の中』新字新仮名版(No.179)を読む

作品そのものに少し興味が出てきたら、旧字旧仮名版にも触れてみてください。


→ 青空文庫『藪の中』旧字旧仮名版(No.24454)を読む

旧字・旧仮名遣いは最初は少し読みにくく感じるかもしれません。

でも、文字の見た目や言葉の響き、文章のリズムから、新字新仮名版とは少し違った印象を受けることがあります。

全部を読み比べる必要はありません。

例えば、多襄丸の決闘、真砂が夫の目を語る場面、武弘の最期のどれか一場面だけ比べてみるのも面白いでしょう。

「内容を理解するために読む」だけでなく、「文章そのものを味わうために読む」。

そんな読み方ができるようになると、読書は少し違って見えてきます。

感想文で気をつけたいこと

「三人とも嘘つきだった」で終わらない

分かりやすい結論ですが、なぜそう考えたのかが見えません。

どの言葉や食い違いからそう感じたのかまで書きましょう。

「真実は人それぞれ」で終わらない

複数の語りが存在することと、すべての語りが同じ意味で事実であることは違います。

真砂が受けた被害と、その後の証言を混同しない

真砂が多襄丸から被害を受けたことと、その後の出来事について真砂がどう語っているかは、分けて考える必要があります。

証言を検討することが、被害そのものを否定することにならないよう注意しましょう。

自分の推測を本文の事実として書かない

「私はこう考えた」「この部分から、こう読むこともできる」と書けば、自分の解釈であることが伝わります。

最後に考えたい|なぜ題名は『藪の中』なのだろう?

ここまで読んだところで、もう一度、作品の題名を見てみましょう。

『藪の中』。

事件が起きた場所は、文字通り藪の中です。

でも、作品を読み終えると、別の感覚を持つ人もいるかもしれません。

証言を一つ読めば、少し真相に近づいた気がする。

ところが次の証言を読むと、また分からなくなる。

さらに読み進めると、道が増えていく。

まるで、読者自身まで藪の中へ入っていくようです。

もちろん、「題名には絶対にこの意味がある」と決める必要はありません。

私は読み終えてから『藪の中』という題名をもう一度見た。事件が藪の中で起きただけでなく、真相を探している自分自身も出口の分からない藪に入ったように感じた。

このように、題名を読後にもう一度考えてみると、感想文の最後もまとめやすくなります。

食い違う証言の道に迷いながら、自分の考えを見つけていく『藪の中』の読者を描いた図

AIを使うなら「真相を決めてもらう」のではなく整理に使おう

AIに「『藪の中』で、本当は何が起きたの?」と聞けば、もっともらしい答えが返ってくるかもしれません。

でも、この作品では、AIに結論を決めてもらうより、自分で考えるための整理役として使う方が向いています。

芥川龍之介『藪の中』について、多襄丸・真砂・武弘の語りを比較したいです。

①複数の語りで重なる部分
②食い違っている部分
③本文だけでは判断できない部分

に分けて整理してください。

誰が本当のことを言っているかは断定せず、私が本文を確認できるようにしてください。

AIの答えを見たら、作品本文へ戻って確かめましょう。

AIが作った感想を提出するのではなく、AIで材料を整理して、自分がどう考えたかを書く。

この役割分担が大切です。

では今、あなたは誰を信じる?

記事の最初に書いたメモを見てください。

今の私は、______の話が比較的本当らしいと思う。

なぜなら、________________だからだ。

今も同じ答えでしょうか。

変わった人は、どの部分を読んで変わったのかを書いてみてください。

変わらなかった人は、証言を比べたあとでも、なぜその判断を保ったのかを考えてみましょう。

最初より誰も選べなくなった人も大丈夫です。

なぜ決められなくなったのか。

それを説明できれば、それも考えが深まった証拠です。

誰を信じるかよりも、「なぜそう考えるようになったのか」を説明できるか。

そこが、この記事で一番大切にしたいところです。

よくある質問|『藪の中』の読書感想文

Q. 結局、武弘の死について何が起きたのですか?

多襄丸・真砂・武弘が、それぞれ異なる死亡経緯を語っているため、作品本文だけから一つの答えに確定するのは難しいです。

感想文では、無理に答えを一つへ決めるより、どの証言のどこを信じたのか、どこに疑問を感じたのかを書く方法もあります。

Q. 真相が分からなくても感想文になりますか?

なります。

「どこまでなら本文から言えるか」「何が最後まで分からなかったか」「それによって自分の考えがどう変わったか」まで書けば、十分に感想文の中心になります。

Q. 『藪の中』では何をテーマにすれば書きやすいですか?

人を信じる基準、他人の心を理解する難しさ、人が自分をどう語るか、事実と解釈の違い、答えの決まらない物語を読む意味などから、自分が一番気になった問いを一つ選ぶと書きやすくなります。

まとめ|真相だけでなく「自分の信じ方」を読んでみよう

『藪の中』を最後まで読んでも、事件の真相をきれいに一つへ決められないかもしれません。

でも、それは読解に失敗したという意味ではありません。

三人の語りを比べていると、私たちは知らないうちに、詳しく話す人を信じたり、苦しそうな人に共感したり、自分に不利なことを認める人を正直だと思ったりします。

『藪の中』の面白さは、登場人物だけではなく、作品を読んでいる自分自身の判断まで見えてくるところにあるのかもしれません。

だから感想文でも、無理に真相を言い当てなくて大丈夫です。

「最初はこう思った。」

「でも、この言葉を読んで迷った。」

「別の可能性にも気づいた。」

「そして今は、こう考えている。」

その道のりを書いてみてください。

『藪の中』の真相を当てるのではなく、真相を探している自分自身の「信じ方」を読む。

そこから、あなたにしか書けない読書感想文が始まります。

『藪の中』の次に読むなら|問いが近い2作品

『藪の中』で「相手の心は本当に分かるのか」「人は自分をどう語るのか」という問いが気になった人には、特に次の2作品がおすすめです。

難解読書感想文シリーズ|ほかの作品も「問い」から読んでみよう

もこあいブログの「難解読書感想文シリーズ」では、作品の正解を覚えるのではなく、自分が引っかかった問いから考えを深めていく読み方を紹介しています。

人を疑ったあとでも、信じ直せる?|『走れメロス』
「友情は大切」で終わらせず、疑ってしまう人間の弱さや、失いかけた信用をどう取り戻すのかまで考えます。
→ 『走れメロス』の記事を読む

傷つくのが怖くて、自分を守りすぎていない?|『山月記』
李徴のプライドだけでなく、傷つくことへの恐れや、自分から人を遠ざけてしまう心まで考えます。
→ 『山月記』の記事を読む

意味を一つに決められなくても読める?|『夢十夜』第一夜
百年待つ約束や白い百合から、「きれいだけど分からない」という感覚そのものを感想へつなげます。
→ 『夢十夜』第一夜の記事を読む

なぜ一つの檸檬が、心を軽くした?|『檸檬』
主人公の気分や丸善の場面から、「自分にとっての檸檬とは何か」まで考えを広げます。
→ 『檸檬』の記事を読む

人を簡単に善悪で判断していい?|『高瀬舟』
喜助の罪や貧しさ、不思議な「満足」、庄兵衛の迷いから、簡単に白黒をつけられない問題を考えます。
→ 『高瀬舟』の記事を読む

自分で決めなかった人にも責任はある?|『舞姫』
豊太郎とエリスの関係を「どちらが悪い」で終わらせず、選択・責任・後悔から考えます。
→ 『舞姫』の記事を読む

「分からない」で終わらず、「自分は何が分からないのだろう?」と考えてみる。

作品によって問いは違います。

でも、正解を当てることより、自分がどこで立ち止まり、どう考えたのか。

その道のりが、自分の言葉で書く読書感想文につながっていきます。

参考文献・本文

  • 芥川龍之介『藪の中』青空文庫・新字新仮名版(No.179)
  • 芥川龍之介『藪の中』青空文庫・旧字旧仮名版(No.24454)
  • 初出:「新潮」1922(大正11)年1月

※青空文庫の新字新仮名版と旧字旧仮名版では、文字遣いだけでなく底本も異なります。

※作品本文を確認しながら記事を作成しています。文学作品には複数の解釈があります。本記事の考察部分は、一つの読み方として紹介しています。

もこあい先生より

難しい作品は、すぐに答えが見つからないからこそ面白いことがあります。

「何が分からないんだろう?」と本文へ戻ると、最初には見えなかった言葉が見えてくるかもしれません。

今日の“なんで?”を大切にしよう。正解より、考えた道のりが宝もの。